タイトルの件

最近常々思うのは、「同じものを見ていても同じことを感じているわけではない」ということですね。
同じ時間に同じ場所で、同じことを学んでいるハズなのに、物の見方も成果も、生み出すものも全く違う。
僕は少なくとも真面目な生徒ではなかった(授業中にMOONGIFTでJAVAベースのCMSを探したり、ソース落として眺めてみたりしてたもんなぁ)し、はっきりいって理解出来ていないところが多すぎるので、習熟度は下から数えた方が早いだろうと思ってる。
でも、あまり不安に感じていないのは「今すぐにプログラムをかけるはずはないけど、いつか書けるようになってやる」という気持ちの問題で、集めるべきピースに見当をつける作業をしているからなんだと思う。
最初から大先生なんていないのだから、悩み考え、努力するしかないわけです。
幸い僕は「これがしたい」っていう部分があったから、それが目にみえているのかも知れないが、結局のところプログラムをするということは、目的を達成する手段でしかないわけで、その目的は自分で探すしかないじゃない。
目的がないことや、それを何に使うかなんてことは、自分で考えるべきであって、その場を混乱させてまで騒ぐことではない気がする。
JAVAでプログラムを書くことは、大して身につかなかった気がするけど、そんなことがわかりました。

ていうか、あの場にいる人達は、何がしたくてJAVA言語を学ぶという手段をとったのか?
僕にはそれが一番の疑問だ。
手段が目的となっているのであれば、早めに目的を探して欲しいと思うし、それに見合った手段を探すべきなんじゃないかと、余計なお世話なことを考えてしまう……。